人は死ぬと実際にはどうなりますか
人は死ぬと実際にはどうなりますか
「すべての魂は不滅である。悪人の魂も例外ではない。……それら悪人の魂は,消すことのできない火に付されて絶え間なく厳しく罰せられ,しかも死なないゆえに,その悲惨な状態を終わらせることができない」。―アレクサンドリアのクレメンス,西暦二,三世紀の著述家。
クレメンスと同様,地獄が責め苦の場所であるという教えを擁護する人たちは,人間の魂は不滅であると考えています。そうした教えを聖書は支持しているでしょうか。以下の質問に対して神の言葉が何と述べているか,調べてみましょう。
最初の人間アダムは不滅でしたか。アダムが創造されてまもなく,神はアダムに次のような命令をお与えになりました。「園のすべての木から,あなたは満ち足りるまで食べてよい。しかし,善悪の知識の木については,あなたはそれから食べてはならない。それから食べる日にあなたは必ず死ぬからである」。(創世記 2:16,17)ですから,アダムは不滅ではありませんでした。
罪を犯したアダムは最終的にどうなりましたか。神の定めた処罰は,地獄におけるとこしえの責め苦ではありませんでした。「新共同訳」(共同訳聖書実行委員会)は,神の宣告をこう訳出しています。「お前は顔に汗を流してパンを得る 土に返るときまで。お前がそこから取られた土に。塵にすぎないお前は塵に返る」。(斜体は本誌。創世記 3:19)神のこの宣言に,アダムの何かが死後も生き続けるといったことは暗示されていません。
だれか不滅の人がいますか。人間はだれも不滅ではありません。聖書は伝道の書 3章20節で,「皆一つの場所へ行く。それはみな塵から出たものであって,みな塵に帰ってゆく」と述べています。使徒パウロもこう書きました。「一人の人[アダム]によって罪が世に入り,罪によって死が入り込んだように,死はすべての人に及んだのです。すべての人が罪を犯したからです」。(ローマ 5:12,「新共同訳」)人間はだれ もが罪人であり,それゆえにだれもが死ぬのです。
死んだ人は何かを知っていたり感じたりしますか。神の言葉はこう述べています。「生きている者は自分が死ぬことを知っているが,死んだ者は何も知らない」。(伝道の書 9:5,「新改訳」,新改訳聖書刊行会)死ぬとどうなるかについて,聖書はこうも述べています。「人間は自分の属する土に帰り その日,彼の思いも滅びる」。(詩編 146:4,「新共同訳」)死んだ人が『何も知らず』,その「思いも滅びる」のであれば,どうして地獄で責め苦を感じることなどできるでしょうか。
イエス・キリストは死を,意識のある何らかの状態にではなく,眠りに例えました。 * (ヨハネ 11:11-14)しかし,中には異議を唱えて,イエスは地獄が熱い所で,罪人が地獄の火の中に投げ込まれることを現に教えた,と言う人もいるでしょう。では,イエスが地獄について実際には何と言ったかを調べてみましょう。
[脚注]
^ 8節 この点については,16-17ページの「イエスから学べること ― 死んだ人のための希望について」という記事をご覧ください。